「ぼくも撮ってもらっていいですか?」

 

久し振りに、カメラを回していたら、うしろから声をかけられた。

 

「いいですよ」

 

とふたつ返事で撮ることになったけれど、

 

まさかそのふたつ返事が、

 

そのままこのPVにまで発展するとはそのときは思っていなかった。

「こんなにインタビューで混乱してるのは初めてですね。」

 

それはただの記者とミュージシャン、

 

という関係性ではないからこそ出て来た言葉だった。

 

写真までPVを撮ったカメラマンにお願いしたのだから。

 

それはもうビールまで用意されれば、

 

飲みの延長みたいなものだ。

 

いや、だからこそ、ここでしか聞けない、

 

音楽と生きること、

 

そしてそれはミュージシャンという枠に収まらない、

 

これからの生き方のヒントにもなったかもしれない。


自信とか、プライドとか、1回パーンって粉々にしてから、

もう1回自信つけていくっていう作業の途中ですかね。

 

原田 茶飯事


words by Nariya Esaki

photography by Souichiro Yamashita

「一番、売って出てた感のあるバンドがそれで。」

 

大阪は岸和田産まれの岸和田育ち。中学2年生のときに、友達のお坊さんの影響で音楽に目覚めた少年は、ハタチそこそこでそのバンド、クリームチーズオブサンを結成。10年弱の活動を経て、解散する際にはTV局主催の某コンテストで優勝するほどに成長していた。

 

しかし大阪を拠点にしていたのに、なぜ、東京に来ようと思ったのだろうか?


「解散して一人でまた大阪でやるよりも、気分も変えたかったし、東京の方が新たな刺激がある気がしたというか。大阪もそこそこ栄えた街やし、大阪でもいいやんって思ってた時期もあったけど行ってもないのにそういうのも何か恥ずかしいなと思って。行ったらまんまと楽しかったんですけどね。」

まんまと東京にハマッて早6年強、しかし唯一、染まれないものがあった。大阪人特有と言えば特有だけれど、理由はそれだけじゃなかった。

 

「言葉だけは標準語に完全に染まらなかったですね。ていうのもアルバイトとかしてたら矯正されてたかもしれないんですけど、そうせずに行こうと最初に決めて行ったから。もう音楽で何とかして生計立てるっていうのを目標に。」

 

そうは言っても、そんなに簡単に音楽だけで生計が立てるものじゃない。それは多くの人が自覚していて、サラリーマンミュージシャンなんていうのも、少なくない。

 

ただクリームチーズオブサンでの実績があったのも確かで、遠征に行くにしても、旅費はほとんどギャラで賄っていたというのだから、大阪人だけに、商売っ気はあるのかもしれない。と言っても、もちろん最初から何もかもがうまく行っていたわけじゃない。

「やりたくなかったなっていうのは、レストランでのBGMみたいなのですね。金銭的にはすごくありがたかったですけど。」


普通にそこで自分のオリジナル曲を歌ってしまう。もちろんお客さんは原田茶飯事のことは知らないし、それどころか音楽に興味が無いかもしれない、ともすれば音が邪魔なレストランのお客さんだ。もちろんギャラは発生するから、生活のためを思えば、それも悪くないのだろうけど。

 

「そういうのも今となっちゃ全部やって良かったですね。」

 

そんな自分はもちろん、音楽にすら興味のない人の前でやったことで、今までバンド(クリームチーズオブサン)の音に頼っていたこと、そして何より、ひとりの無力さに気付かされた。

「たぶん上手けりゃね、興味ない人でも喜んでくれたやろうしっていう。でもそっから本腰入れて、ひとりっていうのに向き合って、練習というのか、いろいろ考えたりするようになりましたね。MCを凄く面白くしたりしたらどうやろうとか、格好とか。そういうのもいろいろやって、これは違うなとか、これはもうちょっと出してもいいなっていう紆余曲折はあったかな。でもやっぱりツアーをして、それこそ求められてもいないのに各地に行くような巡業を繰り返すことで、やっぱり言っても愛されるように生きねばみたいなところに行き着いて。もともと身勝手な性質で、それをガラッと変えるのは難しいかもしれへんけど。ちょっとした気遣いとか、今まで怠ってた部分やったり、そういうのをちょっとずつ改善していった。って感じですかね。」

 

それはつまり若気のいたりのような部分もあったということなのだろう。

 

「音楽がいいし、人間性最悪でも大丈夫でしょう、みたいな、そういう自尊心も音楽活動をひとりで続けていったりすることによって、ベキベキに壊されていって。そういう自信とか、プライドとか、一回パーンって粉々にしてから、もう一回自信つけていくっていう作業の途中ですかね。」

 

それをあくまでも途中というのが原田さんらしいところかもしれない。でもそれはもちろん東京に出て来て約6年、どうにかバイトをせずにやって来れたから言えることでもある。

 

「そこでへこたれなくてよかったなっていうか。やっぱりこうめちゃくちゃ凹む日があっても、それなりに応援してくれてる人もいて、そういう人のおかげでなんとか続けて来られましたからね。」

(つづきます)



もくじ

前編  自信とか、プライドとか、1回パーンって粉々にしてから

2015-10-17

2015-10-31

2015-11-14



原田茶飯事

5月2日大阪うまれ、東京在住のA型。芸名に水が絡むと運気があがるとのことで2007年頃から原田茶飯事と名乗っている。


ソフトロックやMPBの洒落っ気、茶目っ気を感じさせながらも口から半分 魂の出たようなステージングは必見。ソロとバンドを使い分け節操無く全国を渡り歩く全方位型シンガーソングライター。

 

《公式website》

http://haradasahanji.com/



2015年12月14日(月)にバンド6人編成でのワンマンライブが

東京青山月見ル君想フで開催。


詳しくはこちら>>http://www.moonromantic.com/?p=27234